分からないからマル、なこともある?!

そういえば、中高時代。うんと仲良しだった子がいたんですが、あまりにも居心地いいもので、しまいには、暇さえあれば、彼女のクラスまで出かけて、べったり… でも、不思議と進路の話とかしたことありませんでした。だから、高校になって、同じクラスになった時は驚いたけれど、高2のクラス替えでまで、一緒だった時は、さらにビックリ。お互い、顔を見合わせ「ぎょえ〜〜っ!」
先生から「よかったなぁ。同じクラスになれて…」と肩を叩かれたものの、お互い、クチぱくぱく。「まさか、まさか、この子も理系だっただなんて…(全然、知らなかったぁ)」とのけぞりまくり、これまった呆れられたのでした。「そういうことって話さんのかぁ?」と言われて「全然っ!」とハモってしまい、アングリされたりしてね。
そういえば、彼女が愛してやまない、ロックと漫画を、当時の私は全然、よく分かりませんでした。分からないんだけど、熱っぽく語る、その口調と雰囲気を愛してやまなかった部分ありまして… って、案外。世間では「分かり合える」ことをヨシとしてますが、「じつは、分からない」ってのがイイ、ってことも少なくないのかもしれません。
考えてみると、住む場所も、身分も、メンツもかわれど、なぜか、ボヤかれる、ノロけられる、泣きにくる(!)… で、私は、ただただ「聞いてるだけぇ」って役割が、異様に多かった気がするんですが、じつは私は、いまひとつ人情の機微に疎い野暮天でして、「……??」だったからこそ、じつは相手も「気が楽」だったのかも。