ミステリーのように

あと、なにかと感動おぼえるのが、親戚トークッ!
けっこう、話題になるものって、ある程度、決まってるせいか、リフレインされてる内。どこかオトギ話みたく、浮世離れした感覚でとらえてたものが、だんだん、「ものが分かって」くると、芥川龍之介の『羅生門』とか『藪の中』じゃないけれど、語る人の分、「物語が入って」るので、思いっきり、立体として浮かび上がりますものね。
特に、それがあった時の、それぞれの立場や年齢、みたいなものによって、全然、見えるものや感じ方、等々。違うので、なにやらホームズ気分になったりして。
最も身近な親でさえ、じつは「母親に旧姓がある」と実感した時は、ちょっとした感動モノでしたもん。
むちゃくちゃコワモテの叔父が、入ってくるなり、相好を崩し、「ねえちゃんっ!」と呼んだ時の、お互いの表情と距離感は、思いっきり“子供時代のソレ”で、かぎりなく、自分には未知の領分。子供心に、たいそう「驚きをおぼえた」記憶あります。
たとえば、誰かが出奔したり、ウルトラ・おばあちゃんの家出騒動があったり(お嫁さんと衝突し、娘である母をたずねて、我家にやってきたぁ。もう、電話かかりまくり)事業に失敗して逃げてる身内と、密かに連絡してるらしく、電話で、ひそひそ相談してる独特の緊張感とか…
子供時代、ドキドキしたことが、じつは「ああ、そういうことだったのか…」と、次々、納得がいき、謎がとけていく感覚は、ちょっとしたミステリーもそこのけ、かも。
チビの頃は、退屈でたまらなかった、呪文に満ちた(!)大人トークが興味深くなってきて、冠婚例祭のたび、新たな発見があるあたり、ちょっと「年をとるのも、悪くない…かも」と思えてしまうのでした。