探しものは何ですか?

今朝の新聞の片隅に載ってた投稿に、ふと考えさせられました。
50代主婦の声、だったんですが… どうやら彼女は働きながら子供を立派に育てあげ… それこそ、子供が幼い頃は、仕事が多忙をきわめた事情もあり、小学生低学年の頃から、家事も「みっちり、仕込」み、「ひとりで何でもやれる」ようにしたんですって。
その甲斐あってか、実に独立心旺盛な子に育ち、人生の節目節目で自らの進路を、ひとりで決断。ついには留学までした模様。おそらく彼女も、書かれてはなかったけれど、察するに仕事の上でも、サクセスできたのでしょうね。
ところが、息子さんが(進学で)家を去っていった時、彼女は狂おしいほどの「寂しくてたまらない!」気分に襲われたみたいでした。もしも、願いが叶うなら、まだ熱烈に慕ってくれた頃。抱きしめられる頃に「時を巻き戻せる」ものならば… と、切に願った、とのこと。
そんな折、再び就職の関係で息子さんが「家で暮らす」ようになり、彼女は可能な限り「子供時代に、やりそびれたこと」をやったそうでした。「これが、ラストチャンス!」とばかり、送り迎えし、アイロンをかけ、御飯をつくり… 心ゆくまで話をして。
そして訪れた、息子さんの離れた土地への転勤話。でも、その僅かな時間こそが、彼女にとっては「珠玉の時」であり
     自分を許すための時間だった!
って感想に驚き、無性にしんみりしてしまったのでした。
それこそ、現在では、仕事も、家庭も… な御時世。彼女の軌跡は、燦然と輝く「垂涎の的」パターンじゃないですか。なのに「そういうこともあるんだなぁ…」ってね。
あるいは、往年の玩具にビックリ価格がつく現象じゃないけれど、人は「その手につかめなかった」ものに激しく焦がれ、その夢が叶った時。大きな満足が得られるのかもしれません。
たとえば、早くに親をなくした父が、妻(母)が入院した際。親切心から、まだ幼い私の面倒をみてくれた、隣家の、うんと苦労人な老夫妻(子供ナシ)に深く心を開き、お互い、とても幸福そうな顔をして「ともに碁を打ってた」姿じゃないけれど…
ある時期をすぎたら、それぞれの「探しもの」が、ものすご〜く重要な鍵、なの…かも。